東京たらればゲイ

彼氏ができればなぁ… Podcast「前髪系ゲイブロガーのBLのリアル」を配信中です

ゲイの生きやすさは、"囚われる"か"選び取る"かの考え方次第

f:id:wgay-life:20200218083331j:plain

最近大人気なくネット上で喧嘩をしてしまいました。

 

自分なりに相手のことを理解しようと考えた末、ある画期的な結論にたどり着いたので、トータル的にうるさいと思われても考え続けてよかったかなぁと思っています。大変ご迷惑おかけしました……

 

その結論とは、"考え方"をどう捉えているか? というスタンスによって、他人の意見に拒否反応を示すか、受用しようとするか変わるということです。

 

考え方は薬にも毒にもなり、使い方を誤ると自分を囚えてしまうものになります。逆に使い方が上手であれば自分の可能性を無限に広げてくれるものになると確信しました。

 

具体的にわかりやすく話すと、

 

ゲイでカミングアウトをしようとする、AくんとBくんがいたとします。

AくんとBくんはそれぞれ下記のような考え方をもっています。

 

 

・Aくん「ノンケはゲイのことを気持ち悪いと思っている」

 

・Bくん「ノンケの中にはゲイが気持ち悪いと思う人もいる、微レ存」

 

 

この2人の違いはなんでしょうか?

 

ノンケの中にゲイが気持ち悪いと思う人の多さのイメージ、つまり程度の問題だと思いましたか?

 

実はこの2人の大きな特徴は、考え方に囚われているか、選び取っているかという大きな違いがあります。

 

解像度を、360pから4Kにあげてみましょう。

解像度をあげてみると、実はこの2人には別の考え方の”選択肢”がみえてきます。

 

Aくん→「ノンケはゲイのことを気持ち悪いと思っている」

    「ノンケはゲイのことを気持ち悪いと思っていない」

    「ノンケはゲイのことを少し気持ち悪いとおもっている」

    「ノンケはゲイのことを愉快な人だと思っている」

 

    「ノンケはゲイのことを好意的にみている」

Bくん→「ノンケの中にはゲイが気持ち悪いと思う人もいる、微レ存」

    「ゲイフォビアはいたるところにある」

    「ゲイへの不平等は一生なくならない」

    「人は他人のことは気にしない」

 

 

Aくんは他の選択肢がグレーになっていて、選択することができません。

逆にBくんは他の選択肢も選べる中、自分で考え方を選び取っています。

 

結果は似たようなものになっているのですが、実は考え方の自由度がまったくちがいます。

 

なんでAくんは、他の考え方を選び取れないのでしょうか?

 

それは、Aくんはまだ経験が乏しくノンケがゲイを好意的にみる選択肢に自信がもてないからです。本当は「ノンケはゲイのことを気持ち悪いと思っていない」と思いたいけど、カミングアウトして嫌われる恐怖が残っている状況が続いています。

 

一方でBくんは、本を読んだり、ゲイの友達から話を聞いたり、親友にカミングアウトをしたり、親にカミングアウトしたりするという、自分が試してみた経験から選択肢を"選びとれる"ようになりました。

 

もちろんその過程で、ゲイを気持ち悪いと思う人にも出会ってきましたが、Bくんは"自ら"自分を肯定できる考え方を選び取っているんです。

 

 

また、そのほかに実はCくんもいます。

 

Cくんは初めてゲイをカミングアウトした際に拒絶されてしまいました。

それがトラウマでずっとノンケからは距離をおいています。

 

Cくん→「ノンケは全員ゲイを気持ちわるいと思っている」

 

(解像度をあげても、選択肢がない状態。)

 

 

 

なにが言いたいかというと

自分の中に考え方の選択肢をひとつに絞るのはいいのですが、他人は違うし、多くの選べる選択肢をもつことで他人を理解しやすくなるということです。

 

Bくんは「ノンケがゲイに受け入れられるなら、レズもそうだろう。それってもしかすると、LGBTが受用されるってこと? じゃあ人種差別もなくなるかも?」

 

と、どんどんその考え方を他に転用していくことが可能です。

 

 

Cくんのように考え方をひとつに絞るのも全然ありです。ただ、この考え方の人に多いのが自分と違う考え方の人に出会ったときに、その相手に嫌悪感をいだいてしまう傾向があると思いました。たとえばツイッターで自分と違う考えを目にすると苦しくて許容できなくなり、ミュートやブロックをしてしまう。

 

自分と違う考えに触れた瞬間に「え? なに言ってるの?」という気持ちになってしまう。

 

 

一方でBくんは、「え? こんな考え方あるの? 自分の考え方と比較するのに使ってみようかな〜」

 

とサラッと受け流せる違いが生まれます。

取らえ(囚え)方ひとつで"生きやすさ"にまで影響してしまうのです。

 

世の中には多種多様な考え方があります。自分の理想を追い求め、人の考え方を拒絶するのも全然ありです。

 

一方で、他人の考えを聞いて対話を深め、自分の糧にしたいと思うのも自由だとぼくは考えています。

 

じゃあなんでキレたの?

 

 

ぼくが今回キレてしまったのは考え方がどうこう以前の問題だったからでした。

 

ルッキズムによって差別される人がいるかもしれないんだから、そこに言及すべきでしょう」

 

という考え方は受け入れられますし、ぼくは何もルッキズムに苦しむ人たちを苦しめたくてあの記事を書いたわけじゃありません。

 

「ミスコンぐらい自由にやらせてあげよーよ、感性と意見は違うものだからこういう考え方があるよね?」

 

と言いたかった。

 

そういう趣旨で書きたいのにルッキズムの問題点をすべて羅列したら論理が破綻しますよね。

 

読者は「え? なんでミスコンを肯定しているのに、ルッキズムの問題点を羅列してるの? ゲイのルッキズムにはボディ・ファシズムって言って、身体的な美しさが低いと思われたら、人間としての価値がないとまで判定されちゃうの? なんなのこの記事? 支離滅裂」ってなっちゃうじゃないですか?

 

ぼくの中のルッキズムに対する一番プライオリティの高い意見がこの記事だと言っているわけでもありません(思うのも自由だし)。

 

次の記事で、「ミスコンはルッキズムの象徴だ! やめろ!」と書いても、なんら問題ないと思っています。だってぼく個人の中にも考え方は何通りもありますから。

 

 

 

その上で、言論の自由を主張しています。

 

『知識がないなら(誰が決める?)、書くべきではない(誰が決める?)』

 

「知識がないなら発信をするな」の一言は、選択することができなくなる言葉なんです。今後ほかの誰にも絶対言って欲しくないから、ここまで強く否定しました。

 

断固としてここに関しては曲げる気がありませんが、傷つけたなら謝ります。

ごめんなさい。

 

ぼくは他人の考え方を否定したかったわけではなく、知りたかった。

 

 

今は、無知が罪だという人の考え方も理解しようとしていますが、

 

無知なら知っていけばいい、そのために自分ができる努力をメディアを使ってしていきたいと思っています。

 

できるだけ多くの人がゲイを受け入れられるようなコンテンツをつくっていきたいと思えるようになったので、感謝です。ぼくは喧嘩した人に感謝する考え方を選びたいと思いました。

 

ありがとうございました。

 

ちょっとつかれたので、ちょっとだけ休みます。