こじらせすぎて、孤独を感じなくなったゲイが不妊治療について考える
土曜日の朝。(といっても昼に起きる)
起きてすぐに、昨日まとめて焼いた焼き芋のうち1本を食べる。
4本焼いたはずなのに残りは2本。
1本家族の誰かが食べたんだろう。少しうれしい。この家でさつまいもブームを起こしているのは紛れもない僕だ(なんの話)。そんな達成感を小脇にかかえる。
部屋に戻りニキビの薬をのみ、BL漫画を読んだ。
お昼ご飯を買いにいかなきゃ~と思いながらも、徒歩1分のコンビニに行くのが面倒くさくて15時になってしまう。
「なんでこんなにぐったりしてるんだろう」と思って原因を探ってみた。
小さな自分を心の中の"感情の湖"にダイブさせる感じだ。
ニキビの薬で胃があれているのかもしれない。
っていうか26歳にもなって、いまだにニキビがでることに遺伝子レベルの劣等感を感じる。そんな日々が僕を苦しませて、知らず知らずのうちにストレスが溜まってぐったりしているのかも。
いや、ちがう。焼きいもを食べながら読んだ記事が僕の心に刺さったままだからだ。
やっと重い腰をあげて向かう最寄りのコンビニまでの道中で、この記事に刺されていたことに気づく。
ここには、僕が経験したことのない愛が記されていた。
「妊娠ができない」と医者に言われ、それでも一緒になろうと言ってくれた旦那と歩んできた女性の話。
彼女はふと自然に、婚外恋愛をしてしまうだろうという思いにかられる。
離婚家庭で育った私にとって「永遠に続くふたりの生活」という現実は、想像していた「おフランス感」ではなく仄暗い沼地のよう。
でも、きっとこれは単なる綺麗ごとで、実際には「夫との生活に飽きた」とか「子どもができないのに続けるセックスの意味ってなんだ」とか、もっと肉欲的で単細胞的理由だったと思う。
そんな危機感を持った彼女は、子供、ペット、婚外恋愛の3択に迫られ、子供を選択する。そして不妊治療を開始する。
不妊治療は難航し、1年続けても妊娠には至らなかった。
徐々に精神的に消耗していった彼女は、旦那とのセックスで濡れなくなっていってしまう。
「ふたりの時間が楽しくないのは意味ないんだよ」という旦那の言葉をきっかけに、不妊治療をやめることに。
しかし、やめた瞬間に結果は陽性。
狭苦しいトイレのなか、おしり丸出しの状態で一時間ほど思考停止していた。
不妊治療をして諦めた夫婦はたくさんいる。同じように成功した夫婦も、私たちのように諦めたのに自然妊娠するパターンも。
でも、そこから何を得て、次にどう進んだのか。話はそこなのではないか。
人生はそう簡単に終わってなんてくれない。だからこそ、私は夫と「ふたり」+αというカタチを目指そうと思う。
この文章が僕の心をかき乱していた。
僕は、小さい時から自分の気持ちに鈍感だ。
心が上下2つに分かれていて、上の心を普段つかっているんだけど基本的に何も感じない。
下の心は勝手に感情を感じている。
たまに下の心に収まりきらなかった感情が、加湿器からでる煙の様に上の心にかかってくるんだ。
「なんで今こういう気持ちになっているんだろう?」と真剣に考えて分析して、その気持ちにいきつくプロセスを理解する。
今回の分析の結果は、「僕が孤独な状態であること。と、不妊カップルにゲイカップルを重ねている」ということだった。
出産できない女性と出産できないゲイ
養子をとって家族をつくっているゲイも世界には多く存在する。
海外のカミングアウトしたゲイの俳優とかをGENXYでよくみかける。
子供という存在は、カップルの関係性に釘を指す重要な存在なのかもしれない。
たらればゲイの両親も、子供がいなければ200%離婚している。
ゲイのカップルも長年付き合っていれば「子供もいないし、セックスもしなくなったしなんのために一緒にいるんだろう?」という気持ちになっても不思議じゃない。
これは水田議員のLGBT発言のときにも同様の気づきがあった。
僕が孤独な状況であることに気づく
大学を卒業してから、どんどんLINEの通知が減っていく。
最初は嬉しかった。自分の時間を侵されるのが嫌で今でも通知オフだし。
歳をとるにつれて周りの人間関係はビジネスが絡んだものの方が多くなっていった。
自由に生きているから普通の社会人よりも、周りの人と深い仲を持てているという自負もある。
ストレングスファインダーで分析された僕の才能は、ほとんどが人間関係構築力。人に嫌われないすぐに好かれるそんな自負もある。
けど僕は本当の、自分を一番に考えてくれるパートナーが5年もいない。
多少世間から嫌われている人でも、1人自分のことを好きでいてくれるパートナーがいれば全てが良いと思えるのではないか?とセブンイレブンのすいとんを手にとった時に考え悲しくなった。
5年も彼氏がいなければ、もう孤独を感じなくなる。
楽に生きようと思って生きてきた結果がこれだ。
社交性のない自分を甘やかしてきたツケかもしれない。
直視しないだけで孤独はいつも僕の隣にあるんだと思う。
向き合うのが怖い
自分なんかが誰かの1番になれる自信がない
そんなこと突きつけられて、僕の脇腹からは今
加湿器の煙がもれている。