ゲイ彼氏のいない5年目のクリスマス
昨晩、24時をまわってからコンビニに行った。
いつも顔色の悪い店員さんが、似合っていないサンタの格好をしていて「今日がクリスマスイブ」だということに気がついた。真っ赤な帽子と青みがかかった顔のコントラストが、ぼくにクリスマスを届けた。
今日は昼過ぎまで先輩の仕事を手伝いにいき、午後からは2年前にこのブログをつくったカフェにきた。
夕方までに終わらせたい仕事をするためだ。
20代後半、もうすぐでアラサーのゲイになる。
1年の過ぎる体感スピードは年々増していく。若者に言いたいがこれは同世代の間では常識だ。
アラサーで、彼氏が5年いないゲイのクリスマスが一体どういうものなのか? それを書きたい。
決して夕方までに終わらせたい仕事から目をそむけているわけではないことを、このカフェとこのブログに誓う(テヘペロ)。
クリスマスで焦るのは20代前半まで
クリスマスに恋人がいないのを焦っていたのは24歳ぐらいまでだったような気がする。
20代前半は、学生から社会人としての一大転換点を迎え、(ぼくの場合は今でもフラフラしているが)足元が固まっていなくて気持ちや行動にゆとりがなかったように思う。
「周りにおいてかれているんじゃないか?」
「充実した生活を送っていないと格好がつかないんじゃないか?」
周りと、世間と、自分を比べて今よりも生きにくかった。自分の世界はとても狭いものだと知らずに、世界の広さといえば自分の頭の中だけだった。
加えて、学生という無限の可能性を秘めていた時代の名残を引きづっていたからかもしれない。
「自分だって少し本気をだせば、少し先を歩いている同世代に追いつける」と期待を抱いていた。身分やステータス、そんなものに馳せる想いを一入感じていたのだ。
そしてそれは、交友関係や恋愛関係にも及んでいた。
「友達が多いのがステータス」
「泡パ・カラーラン・たこぱ・友達がDJをやるイベント・自分がやるバンドのライブ」
大学時代はそんなものに参加することが、自分の価値を高めてくれると信じていた。
苦手な人付き合いにも挑戦したけれどストレスでニキビがひどかった。
そしてバイトに勤しんで稼いだお金を、スキンケアに毎月1万円落としていた。
「クリスマスに恋人がいない自分は欠けた存在」そんな風に思われるような気がして、クリスマスに息苦しさを感じることもあったように思う。
世の中洗脳合戦
ここで元も子もない、うんこなことを言いたい。
「世の中は洗脳合戦だ」
ぼくたちは無意識に無数の広告を目にしている。
「クリスマスに恋人がいない自分は欠けた存在」と感じさせられた女性は、服や化粧品を買って自分をよくみせようとするから商品が売れる。
「クリスマスだから美味しいものを食べる」も、なんだか本質的じゃない。
もちろんハッピーな側面はそのまま受け取ればいい。だけど、劣等感を感じる必要はないはずだ。
そもそも友達も恋人も仕事だって別になくていい。
働かなくても餓死しない奇跡の時代に生まれたんだから、ただ生きていければ別にいい。人間は生きているだけでスペシャルな存在だ。
だから僕は、自分で選び取った考え方でものごとをみていたい。
人の感じ方に同調する必要はないはずだ。
ぼくの親は宗教に入っていて、ぼくはその宗教にはいっていない。
宗教にはいっている人たちの集まりも、
宗教の内容を知らずに批判的にみる人もみてきた。
どっちもフラットじゃないんだ。
無宗教だと思っている人ほど、なにかに影響をうけていることが多い。
「あなたはお墓を踏めますか?」
なんのためらいもなく踏める人は少ないと思う。
そしてそのためらいは、道徳という授業によって無意識的にインプットされた宗教だとぼくは思っている。
だからなにごともより多くの考えに触れて、
自分が好きな考え方を選ぶことが重要だと思う。
26歳のぼくは、「クリスマスに彼氏がいないことを寂しいことではない」と胸を張って言えるようになりました。
まぁ、イエスという、どこぞの男の誕生日だというんだから祝ってやることも悪くない。
メリークリスマス
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XOXO